

ものすごく大きな犠牲を払わされた津波災害の話が載っていた記憶がある。
そしてきっと破られることは無いであろうという巨大な防潮堤建設の話・・・
私の記憶では、もしかすると約30年前の盛岡であった学会の途中に宮古に来た際に、この田老には寄った可能性は否定できないが、確か今回が初めてであると思う・・・
写真を見ると、約10メートルの防潮堤、2回にわたって大きな工事が行われ、X字型に街を守るように造られてていた。
明治の時の津波の被害(明治三陸地震)、約2000人余の町民の中で、その9割が津波で命を落としてしまったと言う。
単純な比較はできないが、例えば戦争で激戦を戦った部隊があった時、その死亡率が9割と言うような部隊…そのような激しい戦争と言うのは、おそらくほとんどないと思う。
〜〜〜そのような物凄い、地獄のような災害がこの町を襲った過去がある。
どうしても私自身が行ってみたかった田老町・・・
その地に実際立ってみて・・・
筆舌に尽くしがたい地獄であったに違いないと、私は実感した。
被災を受けた『田老ホテル』は、今でも海の近くに立っている。
そして海沿いの丘の上からは、三陸特有の素晴らしい景色が広がっていた。



