私は確信する。
戦争という言葉は、争いや確執という言葉にも代えることが出来るとも思う。
昨今のロシアのウクライナに対する戦争を直視し、確信した。
大きな理由は、関わり合いを持ったあまりにも沢山の人たちの可能性を無にする行為であるからである。
ある人は命を落とし、ある人は傷つき、ある人は友人や家や地域社会を失い・・・
余りにたくさんのものを無理やり失うという結末に落とし込む行為である。
戦争さえなければかなうことが出来た、沢山の楽しいこと。それを不可能にしてしまう行為が、戦争である。
戦争では、攻める側も、攻められる側もどちらもひどく傷つく。
という点では、結果として勝者、勝った国、民族、文化などというものは・・・存在しない。
戦争をしないときに我々が経験できたはずの我々の未来よりも かなり見劣りした現実を手に入れた事に必然的に気が付く。
だから戦争は、してはいけないのである。
そして攻められて、反撃することになったウクライナの軍人、市民はただ単に地獄に落とされたかというと、かなりの部分 そうだと言わざるを得ない。
しかし戦い、防御し、時に反撃する事により・・・ウクライナ兵や市民がたとえ死んでも、傷ついても・・・その同胞たちや、子供たちに、戦わなかった時より良い明るい未来を手に入れ、分け与えるために体を張った行為だという事は、自明である。
きっと報われるのだと思う。
一方で、戦争の目的を明らかにされず、もしくは嘘をつかれて戦争に引きずり込まれたロシア兵がいるというのであれば、それらの兵士は報われない。それらの兵士を戦争に投げ込む決断をした人間がいるのなら、相応の償いをしなくてはいけない。
これも沢山の人々(ロシア兵)の可能性を無にする行為を行ったので、当然のことだと思う。
戦争に引きずりこまれたウクライナの兵士、市民の可能性をどぶに投げ込んだのだから、当然だと思う。
首謀者プーチン・・・
全世界から恨まれる存在である。
ただもしかしたら、大分歪んだ発想かもしれないが、ロシア人のためには絶対欠かせないのがウクライナ侵攻だと信じ込み過ぎてしまったのかもしれないし・・・ただ単に国土を広げて裕福になり、私腹を肥やしたかったという動機ではないというのであれば・・・大きな過ちを犯したことには変わりがないが、少しだけ魂は救われるのかもしれない。
戦争という言葉は、争いや確執という言葉にも代えることが出来るとも思う。
昨今のロシアのウクライナに対する戦争を直視し、確信した。
大きな理由は、関わり合いを持ったあまりにも沢山の人たちの可能性を無にする行為であるからである。
ある人は命を落とし、ある人は傷つき、ある人は友人や家や地域社会を失い・・・
余りにたくさんのものを無理やり失うという結末に落とし込む行為である。
戦争さえなければかなうことが出来た、沢山の楽しいこと。それを不可能にしてしまう行為が、戦争である。
戦争では、攻める側も、攻められる側もどちらもひどく傷つく。
という点では、結果として勝者、勝った国、民族、文化などというものは・・・存在しない。
戦争をしないときに我々が経験できたはずの我々の未来よりも かなり見劣りした現実を手に入れた事に必然的に気が付く。
だから戦争は、してはいけないのである。
そして攻められて、反撃することになったウクライナの軍人、市民はただ単に地獄に落とされたかというと、かなりの部分 そうだと言わざるを得ない。
しかし戦い、防御し、時に反撃する事により・・・ウクライナ兵や市民がたとえ死んでも、傷ついても・・・その同胞たちや、子供たちに、戦わなかった時より良い明るい未来を手に入れ、分け与えるために体を張った行為だという事は、自明である。
きっと報われるのだと思う。
一方で、戦争の目的を明らかにされず、もしくは嘘をつかれて戦争に引きずり込まれたロシア兵がいるというのであれば、それらの兵士は報われない。それらの兵士を戦争に投げ込む決断をした人間がいるのなら、相応の償いをしなくてはいけない。
これも沢山の人々(ロシア兵)の可能性を無にする行為を行ったので、当然のことだと思う。
戦争に引きずりこまれたウクライナの兵士、市民の可能性をどぶに投げ込んだのだから、当然だと思う。
首謀者プーチン・・・
全世界から恨まれる存在である。
ただもしかしたら、大分歪んだ発想かもしれないが、ロシア人のためには絶対欠かせないのがウクライナ侵攻だと信じ込み過ぎてしまったのかもしれないし・・・ただ単に国土を広げて裕福になり、私腹を肥やしたかったという動機ではないというのであれば・・・大きな過ちを犯したことには変わりがないが、少しだけ魂は救われるのかもしれない。