097c8d54.JPG4月28日の夕方は、二日連続の釣行でくたくたであった。18時前に川内港から人吉の妻の実家に到着した。本日は折角の甑島、8年目にして初めての昼間の甑島の釣行であった。しかし釣果は、主にウマズラハギとオジサン(本当のこの名前の魚がいます。髭が生えています。)であった。・・・釣行前の私の希望的観測では、真鯛とイサキで大きなクーラーボックスは一杯であった。・・・現実はそうは簡単には行かない。こんなこと百も承知である。
明日は早くもやっとゲットしたゴールデンウィーク前半の4連休の最後の日、残念であるが東京へ帰らなくてはならない日である。・・・当初から予定していた通り、義弟一家と、私どもと人吉の温泉旅館で夕食会を開く予定であった。今日の甑は釣果が余り無く、魚をさばくのに時間も余り必要ない。
人吉に到着した後、釣り道具を片付けると、疲れてもいるしで温泉にでも浸かりたい気分でイッパイであった。
早速、予約してあった翠嵐楼に移動した。
この旅館は、私は妻と結婚する前、大体18年前の事であるが、12年前に他界した実父と二人で泊まった旅館である。当時も良い旅館といわれていた事を記憶している。しかしその時の妻の父や私の親戚が集まって、大宴会となってしまい、翌日の朝風呂ですら気分不良で入らなかった様で、この旅館の記憶は泊まったという認識以外、風呂がどうであったとか、景色がどうであったとかの記憶が一切無かった。
そんな訳で、二回目の翠嵐楼ではあったが、事実上初めて宿泊するようなものであった。
この翠嵐楼は、古くから地元九州では知られている人吉温泉ではあるが、その最も古い温泉の一つらしい。住所も温泉町というのだそうである。人吉の町の繁華街からは1〜2キロぐらい離れており、日本三急流の一つ球磨川のほとりに立つ、初めてでもどこか懐かしさを感じる、里山に囲まれた温泉という佇まいである。皇室関係者もしばしば泊まられるというこの旅館で、我々が案内された部屋は、この旅館で最もよい部屋であることは間違いが無かった。
窓の外は夕闇が迫りつつある。球磨川の対岸には、古くから林業で栄えたこの辺りでは良く見かけるような小規模な製材所が見える。目の前は、清流で水量が豊かな球磨川が、まさしく滔々と流れている。・・・一瞬、窓を開け放して、このまま窓の外を眺めながらソファーで寝てしまうのにも非常に魅かれている自分を自覚する。
それほど収容人数が多いわけではない翠嵐楼ではあるが、驚いたことに浴場が3つもあった。一つは、我々の部屋と同じ3階にある大浴場である。そして1階の露天風呂、地下のレトロな(先代が造った)大理石調の浴場であった。
我々は早速大浴場に入る事にした。・・・驚いたことにこの泉質は、私が最も好きな泉質であった。お湯は透明、匂いはさほどせず、お湯をかけると皮膚に少し滑らかになる物が付着する感覚のお湯である。・・・アルカリ炭酸泉?・・・皮膚が若返るような気になれる。この手の温泉は、ありそうでなかなかお目にかかることが少ない。釣行の疲れが癒される気になれた。
程なく、夕食の時間である。今日は総勢7人の宴会である。
体のことも考え、最初から焼酎(米焼酎、山河、はなてばこ、福田)でいく事にした。この旅館にはオリジナルとして、これら3種類の焼酎が2合ぐらい入りそうな、四角い色のついた綺麗なガラスのビンに入って出てきた。・・・これまた驚きであった。
更に料理であるが、一昔前では考えにくいことではあるが、山間の盆地である人吉温泉においても、またこれが東京の料亭であってもこれほどまでには出さないであろうと思われる品数と味付けの懐石風料理である。
具体的には、先付けに地元の山菜や馬刺し、しかもタテガミといわれる白い馬肉。刺身は鯛やマグロ、蛍烏賊と、これに地元ならではの鯉の洗い・・・これだけでも十分すぎるほどの量と味である。それから固形燃料を使って暖めて出す鍋料理が2品、鴨の肉と、煮込みのようなもの、その他いくつか料理が出たが思い出せない・・・そして竹の子ご飯と味噌汁。この辺りは竹林が多く、私も幼少の頃おじさんと竹の子堀りに行った記憶が蘇ってきた。またこの時期が旬である。
少しメタボのことも気になっている私であったが、この料理を残す事は罰当たり?許されない気持ちになり、本当に満腹であったが、完食することが出来た。・・・満腹すぎて動けない・・・でも直ぐに横になるのにも恐怖があった。・・・至福とはこのような事をいうのではないだろうか!?