ff98f09f.JPG 私はテレビを良く見るせいか、テレビで放送されている事を見てはコメントしたくなります。
 〜〜〜そういう意味ではマスコミに踊らされている日本人の一人ですが〜〜〜

 そこでここ数日は、岐阜県の肉屋さんと、愛知県のうなぎ屋さんの偽装報道が目立っているので、またコメントしたくなってしまいました!

 優秀な音楽家は絶対音感があるという事は、しばしば耳にします。

 一方絶対味覚なるものは存在するのでしょうか?
 味覚に関しては、グルメもしくは料理評論家と呼ばれる人たちがテレビに出て、「何処かのお店のなんというメニューは、どうだから素晴らしい・・・!」とコメントされています。・・・私はそのような番組を見て、常々違和感を覚えております。
 本当にこの人たちの味覚は正確なもので信用に値するものであるのか??

 私は自分の味覚に自信がありません!!・・・大抵ものを食べて美味しいと思います!!
 苦手なのは、今思い当たるところでは、クサヤとドリアン、ぐらいなものです。
 しかし過去に遡って、時間や場所が違う所で食べたものを思い出して、どちらがどれだけ美味しかったとかいう表現は正確なのでしょうか?
 酒に関しては相対味覚はあり、球磨焼酎でお勧めのものはあります!!
 しかしワインやシャンペンはかなり難しい代物だと思っております!

 一方、自分の子供たちを育てる過程において、私が幼少のときと違って、飲食店に連れて行く機会が多かったです。つまり私の子供たちは私よりは美味しいものを食べて育ちました・・・育ったと思います!?
 幼稚園ぐらいの子供のとった態度として驚いた事には、寿司屋に連れて行くと、ねたの名前を覚えていて、「このねたは以前のより良いとか悪いとか・・・」コメントするのです。
 また以前食べたものでも、今回は美味しくないという理由から、作りたての寿司を残したりもしました。・・・肉料理に関しても同様な事をしました。
 勿論、馬鹿親の私が子供を美化して話しをしようとする意図はありません。
・・・それらの時、一緒にいて食事をしている私はそれほど美味しくない寿司だから・・・とか、美味しくない肉だから・・・という理由で残すという事はしませんでした。

 その時に美味しい食べ物を残す自分の子供に腹立たしさを覚えましたが、一方で味覚には絶対味覚なる物があるんだな!!と思いましたし
・・・味覚も英才教育的なものが必要なんだろうなと!?と思った記憶があります。

 また今朝のテレビでは同じ牛肉を一つは「・・・牛」と表示して、またもう一つは「・・・産」と表示して、15人ぐらいの人にどちらが美味しいか質問した結果を報じていました。
 結果は「・・・牛」と表示してあるほうを美味しいと判断した人が、圧倒的に多かったという結果でした。
 いかに我々は食品の評価を、自分の舌ではなく、表示に頼っているのかという事の現われだと思います。

 話しを本題の食品の偽装問題に戻しますと、「???牛」だとか「!!!産」だとかと表示して、食品を市場に出すと、大半の消費者は見破る事が出来ません。消費者は単に字で書いてあることだけを信用して、「だから高くて美味しいものを買ったんだ!・・・食べたらとっても美味しかったんだ!!」と思い込んでいるのが実態です。
 また酷い食品は、殆どいたんでいるか、その手前ぐらいの劣悪なものが混入した状態でも我々は、それとは知らずにそのような食品を購入し食べているという実態である。

 そこで私なりに考えた問題の真相は、
(1)表示を付けるという事で、食品の値段が大きく違いすぎるという事!!
(2)消費者の味覚はいい加減であるという事!!・・・私を含めて!!

 何に消費者は高いお金を支払っているのか??

 売る側の商人は、買い手の消費者に何だか訳のわからないものに投資をさせているのであれば、それは商売の王道かも入れない・・・でもモラルは守って欲しい!!
 買う側は、自分の目を養って対処するか、最初から自分では感じる事の出来ない付加価値に対しては投資を慎むべきである!!?

 そして自分の家での食卓では、値段の非常に安い冷凍のアメリカ産牛肉に自分の好きな名前の「???牛」というラベルを作って貼り付けて、家族みんなで「この牛肉は美味しいね!!」と食卓を囲んで話しながら、食べるという発想や知恵も「賢い母さんの業」として現実味を帯びてくるのではないでしょうか??・・・