・・・という表現は理屈として成立していない!!
中国の代表者という立場上このように表現したというのは、政治家としては致し方ない点があるという事は、察して余りある!
またインドの姿勢としては矢面に立つ発言は控えたいという立場らしいが、恐らく中国と同じような考えを持っているらしい・・・
この意見を初めて聞いたときには、なるほど現在の中国は、経済成長もある程度達成し、もともと国連の安全保障会議常任理事国として拒否権を持っているし、核兵器も保有しているし、到底弱者には見えない。一方第二次世界大戦後からの経済活動の推移からすると、日本が巨額のODAを出し続けていたり、経済弱国、発展途上国という立場で発言するのもしょうがない
・・・だから自国の経済発展は途上であるから、CO2に関して有利な条件で経済発展させてくれ!!
・・・というのももっともと思わせるインパクトはあった!!
・・・日本やアメリカが沢山のCO2を排出し、地球に対して悪いことをしてきたのだから、我々のみが責任をとるべきだとも思ったりもした!
・・・しかし同時に、中国の主張にも身勝手さを十分に感じるのであった!!
そして良く良く考えて見ると理論的に大きな矛盾のある表現であることに気付く!!
中国の発言の前提は、地球が崩壊した後でも、中国経済だけは生き延びることが出来るという前提で主張している!!
・・・地球が存在しなくても、中国だけは存在し続け、その反映が続くという事が在りうるか?
・・・大きな矛盾があることがわかる!
・・・つまり中国はCO2排出を今後も地球規模で増加させたとしても、地球が崩壊することは無いという前提で、そのような主張をしているという事になる!!
しかし我々?私は、このまま気球温暖化が増悪すると地球は崩壊するであろうと予想しているし、実際にその兆候は十分すぎるほど存在しるし、だからこそ本当に地球は崩壊するだろう、人類は生存できなくなるだろうと危惧している!!!
アメリカをはじめ、G8諸国といわれる国は、現在全世界のCO2排出量の40%強を排出しているらしい。そしてこれに中国、インド、韓国などを加えると、全世界のCO2排出量の70%ぐらいになるとの事
・・・そのため地球環境問題、CO2排出問題を議論し、その抑制を行うためには、これらの国が協力し合ってCO2削減に取り組まなくてはならないというのは、理屈として成立している。
また中国の主張する過去にCO2を排出したもっとも大きな責任があるという国
・・・それは量の問題であるから明らかであるが
・・・アメリカである!!
しかしアメリカも国益という自国民に対する偽善の名の下に、余りに地球に対して無理のある主張をし続ける。
・・・ついこのあいだまでは京都議定書の考え自体を無視する立場
・・・今回のサミットでも具体的なことに踏み込んで実際的なことを提案もしなければ、実行しようともしない立場である!!
・・・そんなアメリカは他の国々から経済的ならず者国家と評されるに値する!!
一方日本も、先日私が当ブログで書いた、「秘密裏の小泉元首相と経団連の約束があった」という事であれば、実際的にはアメリカと同じ事をしている
・・・CO2削減などしようと考えてもいないし、実行もしていない
・・・中途半端に京都議定書を批准するなどとリップサービスをしている分だけ、アメリカよりも悪質といわれてもしょうがない!!世界的な偽善国家である!!
ところで地球温暖化の問題の本質は、例えるなら老朽化した共同住宅(マンション)での共同生活のようなものではないか?
それぞれの部屋の住人は、部屋のサイズも違えば、部屋の使用頻度も違う、部屋を使っている人の数も違う、部屋に溜まった荷物の量も違う
・・・この地球という名のマンションは老朽化が進み、住民の数や荷物には限界がある。
・・・今までのように住人が生活を続ければ、住民が出し続けたCO2という荷物の重量や、住民自身の数が増えるという事による重量オーバーで、非常に近い将来、このマンションの柱は荷重に耐えることができなくなり、倒壊する危機に瀕している
・・・このマンションは構造上、柱自体を補強することは出来ない
・・・住民の数や住民の荷物を減量できないときには、壊れてしまって誰も住めなくなってしまうのである!!
・・・さて住民は何をすべきなのか?
CO2の例えは正確には荷物というより、排水栓を開けた状態で水を注ぎ込んでいる風呂桶をイメージしたほうが良いかもしれない
・・・この風呂はある程度の水であれば風呂桶の排水管から、部屋の外に水を流しだすことが出来る
・・・しかし水という名前のCO2は沢山注ぐと段々と風呂桶を満たしていく
・・・更に沢山の水を注ぎ込むと風呂桶からあふれ出す
・・・あふれ出た水という名のCO2は部屋の中を水浸しにしていく
・・・その水はマンションの柱に、その重量の負荷を時間とともに増やしていくというイメージのほうが正確な例えのような気がする
・・・とりあえず今回はCO2のことを端的に表現するために、荷物とだけ表現することにする。
まず第一に住民がしなくてはならない事は、地球というマンションの柱にかかる荷重を直ちに減らす事!!
その荷重はもしかしたら、限界を超えたところまで来てしまっている可能性が予想される!?
ならば、それぞれの住人が皆で協力して行動しないと間に合わないかもしれないのである!!
・・・そのような時には当然な事であるが、ある部屋の住人だけが必死になって荷重を減らす一方、他の部屋の住人は、自分の部屋には荷物が少ないだとか住んでいる人数が少ないだとかの理由で、うちは荷物を増やすし、住人も増やすと主張する。そんな主張は理解されるであろうか??(発展途上国の主張)
・・・ある部屋の住人は住人の数や荷物が多すぎると指摘をされる前に、すでに住人も荷物も多くなっていた。それでも、この部屋の住人はこれからも更に住人の数も荷物も増やすと主張する。これもまた理解されるはずがない!!(アメリカや偽善的な日本の主張)
・・・一方で今まで荷物を増やす事が出来なかった部屋の住人は、マンションにはこれ以上荷物を増やすことは出来ないという事が明確に判明した後のこの時期においても、自分が荷物を増やすのは自分の勝手!!と言い張る。
・・・今までそれらの国が荷物を増やすことが出来なかったというのは、それらの国の事情によるのであって、今までに荷物を増やした国にその責任があったわけではない!!
・・・現在はマンションはこれ以上荷物を増やすと倒壊するのである!!
・・・この期に及んで、マンションが壊れてしまうのは自分が荷物を増やすことが原因ではなく、今まで沢山の荷物を増やした住人のせいであると言い張る。
・・・これは事実関係を歪曲する主張であるし、一方的な責任転嫁である!!
・・・言いがかりをつける主張である!!
・・・当然皆が納得する主張ではない!!(発展途上国の主張)
・・・待った無しのこの時期に、何でこんなありえない主張で時間稼ぎをするのか!!
・・・この主張の応酬は積極的に地球崩壊を支持する行為ではないが、実際上は地球の崩壊を許容する行為である!!
・・・このままでは絶対にこのマンションは倒壊する!!
先進国という国の住人と、発展途上国という国の住人と、幸せの数を数えあったら、どちらがどれだけ多いのであろうか??
・・・私の予想では、多分差といえるほどの違いは無いだろう!?
「経済という名の悪魔」と私は以前に当ブログで主張したことがあった。つまり経済発展を追及する事は、悪魔を追求する事!!
・・・人類の幸せを追求することではない!!
・・・人類の幸せという共通の目的のため、各戸の住人は、直ちにそれぞれの住人の判断で、経済という悪魔の活動に直結する荷物を減らすという事を実行しなくてはならない!!
・・・この判断と行動は自明としか言い様がない!!
それぞれの国では経済発展という事は、幸せを追求する事であるとの虚像を信じ込んでいる!!
・・・それは経済活動という事の実像を認識できていない!!
・・・もしくは住民の総意という事ではなく、住民の一部のものが強制的に残りの住人に対してこのような価値観を押し付けて、洗脳した結果ともいえる!!
しかし理由はともかくも結果的に、各戸の住人が身勝手な言い分を主張するという事で、このマンションでの幸せな共同生活を継続出来るであろうか??
各戸の住人の言い分は、事実を誤認しているか?我(が)や欲といったものに固執するがため?出てきた主張である!!
誤認や我や欲のために、自分の命や他人の命、時として何もマンションにとって悪いこともしていなく、マンションに何が起こっているかすら気付かない住人も巻き添えにするという事をしようとしているのである!!(失礼な言い方かもしれないがアフリカ辺りにいる教育を受ける機会がなく、情報からも隔絶されているような人々)
しかもこのマンションの住人はほかに引っ越す場所が無いのである!!
誤認であるなら直ちに認識を改めなくてはならない!!
我や欲であるのなら、捨てることが出来るではないか!!??
我や欲は捨てて、少しぐらい貧しくても、同じマンションの住人同士仲良く幸せな生活を手に入れることは出来るではないか!!
すでに先進国とみなされる国々は、経済的発展を遂げたのだという位置づけであっても、経済発展する前と比べて本当に幸せになったのだろうか??
飢餓は少なくなったかもしれないが、戦争という暴力は繰り返している
・・・飢えた隣人には食物も与えなくてはならない
・・・経済発展を達成するために自分らの周辺の生活環境は公害に蝕まれている
・・・経済発展のために、貧乏な時には農村地区で自給自足のお互いのことを思いやって暮らしていた大家族というものは、都市部に引越し核家族化し、少なくなった家族同士のことですら思いやれない家庭となり、家族という貴重な単位、地域社会という貴重な組織を崩壊させて来た
・・・このような弊害を沢山もたらした経済発展は、幸福の数を増やす筈が無い!!そんな事は、ちょっと考えて見れば先進国と呼ばれる国々の人々は誰しも実感、認識できることである
・・・本来あるべき自然を人類は沢山破壊してきた
・・・そして不自然な環境で不自由な生活を送っているではないか!!?
経済発展をさせたから幸せの数を増やすことが出来たかというと、増やすことは出来なかった!!
何のために苦労して経済発展をしてきたのだろうか??
こんな経済発展なら、しないほうがましだった!!
こんな経済発展をこれからも求めるという事は、繰り返しになるが、これからも住民の幸せの数は増やすことは出来ない!
・・・そんな不幸な経済発展を遂げた先進国と、未だに経済発展という不幸を十分には経験していない発展途上国に区別をしても、幸せな地球に対して負っている責任の重さに違いがあるのだろうか!?
結果的には経済発展を追及するという事は幸せの数を増やすどころか、人類に止めを刺す行為である!!
・・・地球という名のマンションもろとも皆の生命を失うという事なのである!!
・・・人類は地球には住めなくなるという事である!!
・・・人類は自らの手で地球上から絶滅させるという事なのである!!!
経済発展を追及するという愚かな行為の結果には、地獄に落ちるという未来しかない!!
ならば人類は今以上の経済発展を求めることを諦めて、今こそ経済発展の実像を認識し、自分の誤りを認め、悔い改めなくてはならない!!
そしてぎりぎり倒壊しないで済んだ地球という名のマンションで、マンションを労わりつつ幸せな生活を模索するという事こそ賢明な生き方ではないだろうか!!?
それが犬猫やその他の生き物と比べて、少しはましな生き物であると自画自賛する人類の、取るべき選択なのではないだろうか??
この判断を誤るという事は、人類の絶滅を選択する事になる!!
・・・この風呂はある程度の水であれば風呂桶の排水管から、部屋の外に水を流しだすことが出来る
・・・しかし水という名前のCO2は沢山注ぐと段々と風呂桶を満たしていく
・・・更に沢山の水を注ぎ込むと風呂桶からあふれ出す
・・・あふれ出た水という名のCO2は部屋の中を水浸しにしていく
・・・その水はマンションの柱に、その重量の負荷を時間とともに増やしていくというイメージのほうが正確な例えのような気がする
・・・とりあえず今回はCO2のことを端的に表現するために、荷物とだけ表現することにする。
まず第一に住民がしなくてはならない事は、地球というマンションの柱にかかる荷重を直ちに減らす事!!
その荷重はもしかしたら、限界を超えたところまで来てしまっている可能性が予想される!?
ならば、それぞれの住人が皆で協力して行動しないと間に合わないかもしれないのである!!
・・・そのような時には当然な事であるが、ある部屋の住人だけが必死になって荷重を減らす一方、他の部屋の住人は、自分の部屋には荷物が少ないだとか住んでいる人数が少ないだとかの理由で、うちは荷物を増やすし、住人も増やすと主張する。そんな主張は理解されるであろうか??(発展途上国の主張)
・・・ある部屋の住人は住人の数や荷物が多すぎると指摘をされる前に、すでに住人も荷物も多くなっていた。それでも、この部屋の住人はこれからも更に住人の数も荷物も増やすと主張する。これもまた理解されるはずがない!!(アメリカや偽善的な日本の主張)
・・・一方で今まで荷物を増やす事が出来なかった部屋の住人は、マンションにはこれ以上荷物を増やすことは出来ないという事が明確に判明した後のこの時期においても、自分が荷物を増やすのは自分の勝手!!と言い張る。
・・・今までそれらの国が荷物を増やすことが出来なかったというのは、それらの国の事情によるのであって、今までに荷物を増やした国にその責任があったわけではない!!
・・・現在はマンションはこれ以上荷物を増やすと倒壊するのである!!
・・・この期に及んで、マンションが壊れてしまうのは自分が荷物を増やすことが原因ではなく、今まで沢山の荷物を増やした住人のせいであると言い張る。
・・・これは事実関係を歪曲する主張であるし、一方的な責任転嫁である!!
・・・言いがかりをつける主張である!!
・・・当然皆が納得する主張ではない!!(発展途上国の主張)
・・・待った無しのこの時期に、何でこんなありえない主張で時間稼ぎをするのか!!
・・・この主張の応酬は積極的に地球崩壊を支持する行為ではないが、実際上は地球の崩壊を許容する行為である!!
・・・このままでは絶対にこのマンションは倒壊する!!
先進国という国の住人と、発展途上国という国の住人と、幸せの数を数えあったら、どちらがどれだけ多いのであろうか??
・・・私の予想では、多分差といえるほどの違いは無いだろう!?
「経済という名の悪魔」と私は以前に当ブログで主張したことがあった。つまり経済発展を追及する事は、悪魔を追求する事!!
・・・人類の幸せを追求することではない!!
・・・人類の幸せという共通の目的のため、各戸の住人は、直ちにそれぞれの住人の判断で、経済という悪魔の活動に直結する荷物を減らすという事を実行しなくてはならない!!
・・・この判断と行動は自明としか言い様がない!!
それぞれの国では経済発展という事は、幸せを追求する事であるとの虚像を信じ込んでいる!!
・・・それは経済活動という事の実像を認識できていない!!
・・・もしくは住民の総意という事ではなく、住民の一部のものが強制的に残りの住人に対してこのような価値観を押し付けて、洗脳した結果ともいえる!!
しかし理由はともかくも結果的に、各戸の住人が身勝手な言い分を主張するという事で、このマンションでの幸せな共同生活を継続出来るであろうか??
各戸の住人の言い分は、事実を誤認しているか?我(が)や欲といったものに固執するがため?出てきた主張である!!
誤認や我や欲のために、自分の命や他人の命、時として何もマンションにとって悪いこともしていなく、マンションに何が起こっているかすら気付かない住人も巻き添えにするという事をしようとしているのである!!(失礼な言い方かもしれないがアフリカ辺りにいる教育を受ける機会がなく、情報からも隔絶されているような人々)
しかもこのマンションの住人はほかに引っ越す場所が無いのである!!
誤認であるなら直ちに認識を改めなくてはならない!!
我や欲であるのなら、捨てることが出来るではないか!!??
我や欲は捨てて、少しぐらい貧しくても、同じマンションの住人同士仲良く幸せな生活を手に入れることは出来るではないか!!
すでに先進国とみなされる国々は、経済的発展を遂げたのだという位置づけであっても、経済発展する前と比べて本当に幸せになったのだろうか??
飢餓は少なくなったかもしれないが、戦争という暴力は繰り返している
・・・飢えた隣人には食物も与えなくてはならない
・・・経済発展を達成するために自分らの周辺の生活環境は公害に蝕まれている
・・・経済発展のために、貧乏な時には農村地区で自給自足のお互いのことを思いやって暮らしていた大家族というものは、都市部に引越し核家族化し、少なくなった家族同士のことですら思いやれない家庭となり、家族という貴重な単位、地域社会という貴重な組織を崩壊させて来た
・・・このような弊害を沢山もたらした経済発展は、幸福の数を増やす筈が無い!!そんな事は、ちょっと考えて見れば先進国と呼ばれる国々の人々は誰しも実感、認識できることである
・・・本来あるべき自然を人類は沢山破壊してきた
・・・そして不自然な環境で不自由な生活を送っているではないか!!?
経済発展をさせたから幸せの数を増やすことが出来たかというと、増やすことは出来なかった!!
何のために苦労して経済発展をしてきたのだろうか??
こんな経済発展なら、しないほうがましだった!!
こんな経済発展をこれからも求めるという事は、繰り返しになるが、これからも住民の幸せの数は増やすことは出来ない!
・・・そんな不幸な経済発展を遂げた先進国と、未だに経済発展という不幸を十分には経験していない発展途上国に区別をしても、幸せな地球に対して負っている責任の重さに違いがあるのだろうか!?
結果的には経済発展を追及するという事は幸せの数を増やすどころか、人類に止めを刺す行為である!!
・・・地球という名のマンションもろとも皆の生命を失うという事なのである!!
・・・人類は地球には住めなくなるという事である!!
・・・人類は自らの手で地球上から絶滅させるという事なのである!!!
経済発展を追及するという愚かな行為の結果には、地獄に落ちるという未来しかない!!
ならば人類は今以上の経済発展を求めることを諦めて、今こそ経済発展の実像を認識し、自分の誤りを認め、悔い改めなくてはならない!!
そしてぎりぎり倒壊しないで済んだ地球という名のマンションで、マンションを労わりつつ幸せな生活を模索するという事こそ賢明な生き方ではないだろうか!!?
それが犬猫やその他の生き物と比べて、少しはましな生き物であると自画自賛する人類の、取るべき選択なのではないだろうか??
この判断を誤るという事は、人類の絶滅を選択する事になる!!